rickdom

東京とチェンマイを行ったり来たり

また音楽作りたくなった

高2くらいのときにBIG BLACKを聞いてから26で就職するまでオレは音楽作りで食べていきたいと本気で考えていた

上京した1988年に最初の機材「Roland R8」というドラムマシンを購入、ステップシーケンスではじめてパターン作ったときの感動は今も覚えている
これにギターを被せればBIG BLACKじゃん、って友達からギターを借りたけどそこで最初の挫折、ぜんぜん弾けないしアルビニのようなかっこいい音も出ない

そこで諦めずにしつこく練習していればと今になっては思うけど当時はアホだったからすぐに諦めちゃった

で、1991年にひょんなことから飴屋法水さんの製作のてつだいをさせてもらうことになって、そこではじめてサンプラーを使って音楽を制作してるところを見た
もちろんサンプラーの存在や理屈は知ってたけど、実際にレコードからブレイクビーツをサンプリングしてシーケンサーDAWではなく単体シーケンサー、確かMC300だった)でループさせ、そこに鍵盤にアサインしたベースラインや声ネタなんかをかぶせてリアルタイムレコーディングしていく飴屋さんと浜里賢太郎さんを見た時は心底かっこいいと思ったし、オレは絶対これをやるんだと思った

で、その1ヶ月後に男の60回ローンでサンプラーを買った。メモリーガン積みのS1000HD、当時60万くらいしたと思う
そのころからシンセにはまったく関心がなかった。飴屋さんはもちろん、KLF、Meat Beat ManifestoPublic Enemy(Bomb Squad)、椹木野衣なんかの影響でサンプリングしか興味なかった
とにかくS1000でサンプリングしまくってPerformer(Ver.4かな)でトラックを作りまくっていた

今考えるとぜんぜんたいしたことないんだけど、当時はオレのトラック死ぬほどかっこいいと思ってた
電気グルーヴなんかが出てきたころだと思うんだけどダッセえな、オレのほうが全然いいじゃんと本気で思ってた
若気の至りってやつですごめんなさい

その後もATRに影響されたバンド(鉄山靠95)作ってライブやったり、ゲームの音楽作ったり、AMIGAでCG作ったり、まあいろいろやってたんだけど、結局どうにもならなかった。1996年に(CDと機材買いすぎ)財政破綻してやむなく就職、仕事が忙しくて音楽活動はフェードアウトしていった
続けていれば、もっとうまくやっていれば、と思うこともあるけどまあしょうがないよね

それでもやっぱり音楽は好きで、相変わらずレコードCDはアホほど買ってた
で、2003年、34歳にしてはじめて普通のバンド「大甲子園」を始めた
あいかわらずギターは弾けないのでドラム。一人をのぞき全員初心者でとにかく酷かったけど、いままでほぼ一人でやってたので、みんなでスタジオ入ってライブやるのは本当に楽しかった
とはいえ、このバンドで上に行くとかCD出すとかはぜんぜん思ってなかった。ただ楽しければよかった。練習もほとんどしないし曲作りも全部メンバーに任せていたしね
すぐ飽きると思ってたバンドは意外なことに10年以上続き(まだやってる)ライブももう50回くらいはやったんじゃないかな

けどあまりにもバンドが楽しかったのと仕事が忙しすぎて、打ち込みをやめてからもずっと続けていた音楽(聞く方)趣味も、2010年頃からあんまり積極的にはやんなくなってた
主催イベント打ったりして結構頻繁にやってたDJも、内輪イベントに誘われないかぎりはやらないようになった。もともとテクニックもないし、新譜買わなくなったら金取ってDJやる資格ないよねと今でも思ってる

告白するが、音楽をやめてからこのかた、昔の仲間が音楽はもちろんいろんな方面で成功しているのを見て死ぬほどつらかった。いや、妬ましかった
「おれは本当はこんなもんじゃねえ」と酒飲んで惨めに荒れたこともあった

だけどそういう感情も40を過ぎたらすっかりなくなり、日々怠惰に流れる方向に向かっていた……。

そんなオレを再び音楽に向かわせてくれたのがアイドルなんだ
(はい、嫌いな人ごめんなさい)

最初はももクロ、そしてエビ中。音楽的に攻めてたし、自分がこういうものにハマるということ自体がおもしろかった

で、最終的に地下アイドルだ
友人に誘われたゆるめるモ!や非常階段とやったBiSなんかは横目でおもしろそうだなと見てたけど、決め手となったのは2014年11月に見たせのしすたぁだ


tagkaz.hatenablog.com

とにかくこの時の衝撃はハンパなかった
正直音楽的には趣味ではないんだが、まおさんの圧倒的なパフォーマンス、そしてヲタたちの熱量にやられた
音楽を楽しむっててこういうことなんんだなと本当に久しぶりに思い出した。生まれて初めて(正確には違うけど)の接触も行った

そこから1年、せのしすたぁを中心にいろんな地下アイドルを見た
そして2015年11月、Bellring少女ハートに出会ってしまった

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そこにはオレの好きなものがすべて詰まっていた。

BEYOND

BEYOND

痺れるほどかっこい楽曲、真っ黒な衣装でライブ中MCもなく体力の限界まで歌い踊るメンバー、グッチャグチャのモッシュピット、そしてヲタクたちの楽しそうな顔、オレはこの空間が本当に好きだなあと思った
あと、アイドルというフォーマットを利用して、一切妥協しないまぎれもなく自分のエゴにまみれた作品を作り続ける田中Dの姿勢にも本当に感銘を受けた

田中さんを筆頭に、ゆるめるモ!の田家さん、せのしすたぁの森永さん、おやホロの小川さん、ディレクター(プロデューサー)のファンになるという体験をはじめてした(渡辺淳之介は好きじゃないw)

彼らを見て「アイドルをプロデュースしたい」ではないけど「音楽を作ってみたい」と思うようになった

もうひとつきっかけがある
3年前から加入させてもらった玉置勉強君のバンド(砂利道)だ
10年バンドやっててもまったく上達する気配のない自分をよく入れてくれたなと思うし本当に感謝している
勉強くんはおれと違ってきちんとバンドに向き合ってて、レコーディングしてCDも出した
なんか自分がこのバンドにいることが申し訳なく思ったし、やっぱりちゃんと制作物を作らないと本当にオレはダメな人で終わるなと思った

砂利道

砂利道


そして6/15、ベルハーとともに推している「おやすみホログラム」の2ndワンマンを見た

koshi0816.hatenadiary.jp
その様子は越田さんの素晴らしいレポートを読んでいただくとして、

彼女たちは次の大きな目標を発表し、バンドセットから打ち込みベースに移行する姿勢を見せた
偶然それが自分の今の状況にピタリと重なった
モッシュピットを後ろから眺めながら、頭はフル回転で自分の音楽の構想を練っていた
そしてアンコール後に初披露された新曲を聞いたとき覚悟は決まった

もちろんそんなことはおくびにも出さず、おやホロの二人とチェキを撮って帰宅

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でもこのチェキは思い出になりそうだ

帰宅しても興奮で眠れず、機材を調べまくった
音楽制作をやめてほぼ20年、完全に浦島太郎だ

そしてこの動画を見て心底驚いた


Ableton Push 2

なんだこの完璧な環境は
S1000やMPCで死ぬほど時間かかってた作業が、今はものの数秒でできちゃうんだなあ
で、そのぶんセンスと作り込みの勝負になるんだなあ。楽しいなあ
いつのまにか「Ableton LIVE9」と「PUSH2」の購入ボタンを押していた

というわけで音楽活動やります

構想は死ぬほどあるけど、あせらずしばらくはリミックスなんかで勘を取り戻しながら機材の習熟に集中するつもり
昔はプロにならないと意味がないと思いつめてたけど、今は歳もとったしインターネットもあるからマイペースで
年内になんかやれればいいなあ、とはなんとなく思ってる

その際は協力をお願いすることもあるかも。みなさまよろしくお願いします



(なーんて、ながながと書いてきたけど、オレ典型的な熱しやすく冷めやすい人間なんで、そのうちなんも言わなくなるかもしれないけど、そんときはバカだなーこいつと笑ってください)